1個上の学年の人数が少ないと、これも仕方ない事です。
この年はビッグな出来事がありました。
健君で有名な北海道札○市から転校してきたO君の入部です。
体験練習の時に見れなかったのですが、次の日に監督から聞いた評価は「物が違う!」でした。
1年生から野球を始めたそうで、初めて見た時の白い練習着の着こなしは見事でした。
O君の入部により内野も投手層も厚くなりました。
抜群の守備と正確な送球で、その守備範囲の広さは驚きました。
走塁も注文する所は一切ありませんでした。
リード、第2リード、頭から戻る帰塁と見事でした。
セカンドランナー、サードランナーの時の走塁は見事でした。
「相手を惑わす走る振り」が身についていました。
声も良く出ていました。
ショートを守っていた時ですが、3遊間のゴロに対し、自ら捕球に行きながら「サード行ける!」と声を出すプレーは、今までのチームになかったもので、こちらが教わる事が多かったくらいです。
O君の所属チームでは小学校単位に1〜6年生全ての子供で1つのチームを作っているらしいです。
だから0君の試合経験は数える程度だったようです。
でも、相当レベルの高い練習をしている事が伺えます。
ある日の試合で1塁ランナーがRチャンで、バッターがO君の場面です。
監督は「盗塁」のサインを出しましたが、Rチャンのスタートが少し遅れました。
この遅れを目撃したO君はすかさず空振りをして、盗塁のアシストをしました。
思わず監督と顔を見合わせ、その当時合言葉のようになっていた「物が違う!」を言い合いました。
ある試合ではホームスチールを成功させたりもしました。
O君の加入により俄然勢いがついたチームは、この年に教育リーグで3位になり始めての入賞を果たしました。
初めての賞状と楯?カップ?を貰いました。
また、息子に初ヒットがでたのもこの年です。(遅い^^)
3年生の新入部員に初ヒットが出た試合ではノーヒットノーランを達成した息子ですが、ヒットを打たれたのが悔しかったと言っています。
初ヒットはどこに打ったのか全く覚えていません^^
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うちの兄は小学3年生で入団しましたが、そのときで同学年が30名。 弟の方は2年生で入団したしたが、そのときに同学年で22名いました。
各学年ごとにチーム編成するわけですが、入団したときから誰かを出し抜かないと自分が試合に出れないという境遇での野球開始でした。
児童期の「性格形成」という意味であまりお勧めできませんね(笑)
マンモスチームですね^^
近所に100名を超える大所帯のチームがありますが、グランド確保が大変なようです。
10人チョットでも先発メンバーを選ぶのが大変なのに、20名を超える中から先発を選ぶ度胸は私には無いと思います^^
そんな選手が相手チームに居たら漏れなく連れて帰りそうです。^^
我がチーム含め近隣の高学年チームを見てもそんな選手には
今のところお目にかかっておりません。^^;
仲良しの他チーム指導者からは「O君、欲しいな〜」と、いつも言われていました。
最初からウォーキングジャンプが出来ていたし、集中力が抜群でした。
やはり「物が違う!」です^^
近所に100名を超える大所帯のチームがありますが、グランド確保が大変なようです。
確かにグランド確保が大変で、通常、各学年で4箇所に分かれて練習してました。
1学年30名が定員で、だいたい3年生中盤で募集が締め切られていました。3年生で単独学年チームを2チーム(1軍、2軍)組織し、4年生チーム(1軍、2軍)、5年生チーム(1軍、2軍)ときて、6年生では単一チームとなります。ですが、いつも卒団時は20名前後です。
理由はお察しの通りです(苦笑)。
強いには強いが、教育上疑問です。
近所に100名を超える大所帯のチームがありますが、グランド確保が大変なようです。
確かにグランド確保が大変で、通常、各学年で4箇所に分かれて練習してました。1学年30名が定員で、だいたい3年生中盤で募集が締め切られていました。3年生で単独学年チームを2チーム(1軍、2軍)組織し、4年生チーム(1軍、2軍)、5年生チーム(1軍、2軍)ときて、6年生では単一チームとなります。ですが、いつも卒団時は20名前後です。理由はお察しの通りです(苦笑)。強いには強いが、教育上疑問です。
ただ人数が多いチームとは思っていませんでしたが、凄いですね。
1軍、2軍の入替えとかもあるんでしょうね。
親も覚悟しないと付いて行けませんね^^